沿革|会社案内
沿革
| 1991年 | 5月 | 有限会社チップスリーとして法人登記。主たる業種はソフトウェア開発ではなく、なぜか広告代理店であった。 |
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| 1993年 | 3月 | 竹元和幸ら 4人が川崎市高津区溝の口のアパートの1室にて創業。(創業の理念) |
| 1994年 | 7月 | 初の IBM AS/400 用自社パッケージ製品「Object Scope」を開発。 |
| 11月 | 有限会社コルト・ヴォックスに社名を変更。 あわせて取締役の入れ替えを行い、竹元和幸が単独の取締役となる。 |
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| 1995年 | 5月 | 初の採用活動広告を出稿。 たった4名の会社に 100名近い応募があり、世間の仕事観の変遷に驚く。4名を採用。 |
| 9月 | 業容拡大につき目黒区緑が丘に本社を移転。 | |
| 11月 | 学生ならではの新鮮な発想力・パワーに期待し、初の学生アルバイト採用広告を出稿。 | |
| 1996年 | 12月 | 目黒区緑が丘に開発者用ワークスペースを開設。 社内ネットワークもリモートアクセスを始めとする多機能なサービスを提供できるものに進化。 |
| 1997年 | 4月 | 初の新規学卒社員を初の事務専任として迎える。 経理業務・事務業務のシステム化を完了。 |
| 1998年 | 3月 | 沖縄県石川市に沖縄支店を開設。 |
| 4月 | 初の外国人(ニュージーランド人)を採用。 | |
| 5月 | 自社インターネット直結サーバーを構築し、同時に自社ホームページも開設。 自己資本の拡充のため資本金を1,100万に増資。 |
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| 12月 | 定期採用活動を開始。 | |
| 1999年 | 1月 | 自己資本の拡充のため資本金を1,570万に増資。 |
| 6月 | 初の大卒学生採用活動を1998年末から行った結果、 2000年4月入社予定の新卒者3名を決定。 |
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| 8月 | 業務管理の難しさから沖縄支店を閉鎖。 沖縄勤務社員は東京に異動。 |
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| 2000年 | 3月 | 事務室と開発室に別れていたオフィスを統合。 開発室であったマーブルハイツに事務所機能も移設。 |
| 4月 | 第一期定期採用新卒学生が入社。 | |
| 7月 | カナダEnsemble System社の日本代理店として「RoseDelphiLink3.2」日本語版販売開始。 株式会社へと組織改組。 自己資本の更なる拡充のため、資本金を2900万円に増資。 |
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| 10月 | 保険組合主催の野球大会に初参戦。 | |
| 2001年 | 3月 | カナダEnsemble System社の日本代理店として販売していた「Rose Delphi Link3.2日本語版」の販売を、EnsembleSystem社の版権譲渡に伴い中止。 |
| 2002年 | 8月 | より快適な労働環境の構築を目指し、本社を西五反田へ移転。 |
| 2004年 | 3月 | 採用業務支援ソフトウェア 『 なびヘルパー 』 を開発・発表。 宮崎県宮崎市に宮崎支社を開設。集中して開発作業ができるリゾートオフィスを目指す。 社員の結婚式で合唱隊を結成。 |
| 5月 | 社員の結婚式でバンドを結成。 | |
| 2005年 | 4月 | 福利厚生の一環として、明治大リバティアカデミーの利用開始。 |
| 11月 | 福利厚生の一環として、スポーツクラブ法人会員制度を契約。 | 2006年 | 2月 | 品質保証業務管理システム『iStyle』を発表。 (後日『TAKARA QUINT SYSTEM』へ名称変更) |
| 4月 | 宮崎支社の移転。 沖縄にて SOHO 開始。 |
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| 12月 | 福利厚生の一環として企業カウンセリング(ピースマインド)と契約。 | 2007年 | 4月 | PTA(Project Trace and Administration) の導入。専任者を設置する。 |
| 6月 | 初の外部取締役に足立純一郎就任。 | 2008年 | 5月 | 第17回ソフトウェア開発環境展(SODEC)に出展。 プロジェクト管理ツール『パワフル・プランナー エンタープライズ版』を発表。 Vector および自社サイトにて、フリーウェアの提供を開始。 |
| 10月 | MS Project ファイルビューア『プロジェク太』を発表。 | |
| 12月 | スケジュール管理ツール『パワフル・プランナー パーソナル版』を発表。 | |
| 2009年 | 5月 | 第18回ソフトウェア開発環境展(SODEC)に出展。 |
| 2009年 | 12月 | 事業再編に伴い宮崎支社を閉鎖。 |
創業の理念
創業メンバーは以前よりこの業界において同様な仕事に携わってまいりました。そこで感じてきた次のような問題を自分たちの手で解消することを志し、創業に至りました。
なぜ日本のソフトウェアサービスはこんなに低レベルでありながら値段ばかりが高いのか?
「センスが足りないならせめて日本語だけでも意味がわかるように」
「機能が足りないのならせめてお安く」
適正な価格で高いレベルのサービスを提供することが私たちの信念であり、私たちにできる唯一の仕事です。さらに低価格で高性能なソフトウェアを提供するために、邁進していきます。
対人センス(コミュニケーションスキル)の不足している技術者が多い
ソフトウェアは人の仕事や生活の助けとなるべきものですから、ソフトウェア技術者は円滑かつ内容の濃い対人関係を築く能力を有していなければ相手の本当に求めるものを理解することができません。
増してや現実を抽象化したソフトウェアの世界においてのみ考え得る事柄を上手に伝えて相手のために役立てることもできません。
頑張れど働けど給料が安い
ソフトウェア業では大会社の下請けや有力者の紹介といった間接的な仕事の受け方が多く、ソフトウェア開発会社の社員は顧客の要求を満たすためにきわめて低額な賃金で過酷な労働を強いられている場合があります。
当社では顧客との直接契約や無駄な経営コストを減らすことによって会社の利益は最大限社員に還元するよう努めております。
創業時に認識したこれらの問題点は、将来性があると思われがちな業界でありながら、サービスの特殊性とサービスに対する需要の高さを隠れみのに経営改革・合理化に向けて努力を怠った結果として生じたもので、無駄のない経営を行い、顧客ニーズを満たすことを最上位に考えたサービス提供を行うことに努めていれば、充分な企業体力を持っていない当社であっても充分に解消可能なものでした。
しかしこれは少しでも油断すると陥りがちな落とし穴でもあります。
創業以来早くも10年が経過しましたが常に初心を忘れずに業務に取り組む所存です。






